ぽっちゃり発達障害(ADHD)のすみっこ考察記

ちょっとぽっちゃりの発達障害(ADHD)が社会のレールから外れて独立して生きる過程を記録するブログ

義足の選手に求められる「常識的」な陸上記録

f:id:baby-think-power:20180222200405p:plain

 

 

 

 

 

両足義足の陸上選手、オスカー・ピストリウス選手。

義足ながらもロンドン・オリンピックの陸上400メートル&リレーに出場し、注目を浴びていましたね。

格好いいなあ、義足なのに凄いなあと思ったものです。

この時は、義足の選手が健常者にのトップランナーと互角に戦うことに称賛の声が多く出ていました。

 

 

しかし、その後パラリンピックの出場選手の記録が伸びてくると状況は変化します。

 

記録が伸びているのは、義足技術の発展だ、オリンピックには出場するのはどうなんだ?

と言われるようになってしまいました。

 

確かに、パラリンピックの記録が伸びているのことに、義足技術の発展が影響しているのは否定できないでしょう。

 

 

しかし、もし義足の選手でボルト選手並の能力を持った、「非常識的」な速さの選手が出てきたらどうなるでしょうか?

本人の努力ももちろん称賛されるでしょうが、義足のおかげと思う人がほとんどではないでしょうか?

もし本人に本当の脚があったら、世界記録を塗り替える才能があったかもしれないのに。

世界記録を超えた途端に義足のおかげにされてしまう。(義足のせいと言った方がいいかもしれません)

 

あくまで義足の選手は、世界で戦える記録は出せても、世界記録は絶対に越えないような「常識的な」速さ・記録を求められてしまうのです。

 

 義足の選手が健常者の記録を越えることは許されないことになってしまっているのです。

 

ピストリウス選手があれだけ褒められたのは、あくまで陸上選手として「常識的」な範囲の記録だったからだと思うのです。

 

 

これから、陸上用に義足の反発力などを決めるのは本当に難しい事だと思います。

個々人に合わせて、本来の脚と同じ記録を出す義足は作れないのですから。

脚があった場合のその人の記録を越えてしまうかもしれないし、逆に縮めてしまうかもしれない。

 

 

10年程前には言われる事などありえなかった「義足はずるい。」という言葉。今では多く言われるようになりました。

 

 

義足の選手が健常者の記録を上回ることも増えてきています。

 

義足の選手が世界記録を更新する日。 世界では義足の是非の議論と、選手への称賛、どちらが多く語られるのでしょうか?